村田和人、死去。 |
2016年2月22日16時20分に父である村田和人が亡くなりました。
7月、8月に村田バンドのメンバーで村田和人追悼ライブを行います。
人見 'Hit Me!' 欣幸, '16. (音楽紹介業)

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2016年 02月 23日
村田和人 が亡くなった。
二月二十二日。享年六十二。 以下の引用は同日夜、彼のフェイスブック頁に長男の村田彼方氏が掲載したもの。 村田和人の息子の村田彼方です。父に関する訃報をお知らせいたします。 2016年2月22日16時20分に父である村田和人が亡くなりました。 原因は大腸がんからの転移性肝臓がんにより亡くなりました。 7月、8月に村田バンドのメンバーで村田和人追悼ライブを行います。 詳細はまた追って連絡いたします。 葬儀は家族葬で行います。 後日、送別会を行いますので一般の方はこちらの方にご参列下さい。 送別会の詳細は追って連絡いたします。 ----------------------------------------------------------------------------- 本ブログも含め、文筆仕事上、僕は基本的に敬称略・フルネイム(頻出する場合は二回目以降は苗字)で記事を書いている。「さん」だの「君」だのと馴れ馴れしく書くのは趣味に合わないし、深い知り合いでもないのにそういう表記をするのは失礼だし傲慢だと思うから。番組でも同様(当然、本人が目の前に居る場合は除く)。 でも、本稿では村田和人を「村田さん」と書かせて頂く。有難い事にそれなりに近しい間柄だったと思うし、また誰をもそう思わせてくれる人柄の持ち主だったので。 御了承頂きたい。 僕はその二時間後からラジオの生放送番組があった。しかしそれは洋楽の、それもソウル&ファンクの番組だったので訃報には触れなかった。 しかし、曲はかけられないまでも話だけはしたかった。ファンであるし、僕の番組や湘南ビーチFMのライヴに出演して下さった事も有るからだ。 まだそれを公にしてはいなかった段階かも知れないと思い、息子の彼方君(何と僕と彼はバンド・メイトなのだ)に「話題にして良ければ返事を、無ければまだ伏せておきます」という E-メイルを送ってあったが返事は無かった。よって触れなかった。 とは言え、選曲とトークにその影響を出さずにはいられなかった。最後にかける曲はシーク(シック)の「リアル・ピープル」に差し替えた。 Real people, I want to live my life with some real people. リアル・ピープル、僕は幾人かの本当の人々と共に人生を過ごしたい [Real People /CHIC, '80.] 頻出するこのフレイズには "some" =「少なくても良いから」という意味が込められていると思う。 ブラック・ミュージックにはあまり感心が無かった村田さんには関係無い曲ではあるけれど。まぁ完全に自己満足。 でもさ、大体、自己満足ではないラジオの選曲なんてあるの? いずれにせよ、キツい一時間だった。 ----------------------------------------------------------------------------- 村田さんは山下達郎との関わりで知られる。レコード・デビューは1982年にムーン・レコーズより。ムーンの第一回新譜の中に村田さんの『また明日』が含まれていた。つまり山下達郎のムーン初作『メロディーズ』よりも前という事になる。 同年末より山下達郎のトゥアーにコーラスとして参加。トゥアー帯同は86年迄続く。僕が山下達郎のライヴを初めて観たのはその次の88年、タイミング悪く村田さんがコーラスを担当していたライヴは観られなかった。 村田さん自身のライヴに行きだすのも遅かった。そしてその数も片手で数えられる程度。日本人のライヴに足を運ぶ事自体がそう多くないからとは言え。 悔やまれる。 という事で、僕は主にレコード/CDで彼の音楽に親しんできた。 圧倒的な歌唱力、作曲家/編曲家としての能力、包容力、現場対処能力。 出たとこ勝負力・行き当たりばったり能力の高さというのは、つまり度胸と努力・経験の蓄積と機転だ。村田さんは本当にそれが優れていた。彼が居るだけで安心出来る、そんな存在感があった。 彼がニコニコ笑って「ぜ〜んぜん問題無いんじゃない?」と言ってくれるだけで周囲の問題が無くなっていく、そんな瞬間を何度も見てきた。 音楽的には何と言ってもその「湿度の低さ」が僕にはツボだった。 自他共に認める「夏男」。明るさや力強さがよくいわれるが、僕にとっては湿度の低さ。 僕が音楽と接するにあたっていつも気になるのは湿度だ。カラッカラな音楽が好き。湿っている音楽が苦手。メイジャー/マイナーというコードの問題ではなく。声の明るさ/暗さというより、声がジメジメしているか否か。アメリカン・ロックがルーツにある日本のミュージシャンでも、声が濡れていると僕は苦手(日本ではその方が歓迎される傾向がある)。 村田さんの低湿な声は僕にとって大きな魅力だ。いや、湿気を含んでいないのではなく、仮に同じ湿り気を含んでいても高温な方が湿度は低いという(地学部OBらしい)理屈。 スカッと抜ける声、音、音楽、センス、生き方であった気がする。 当然、努力はする。苦労もする。しかしそれは出さない。或いはそう捉えない。そんなカッコ良い粋な東京人。 ----------------------------------------------------------------------------- 「夏男」がウリだった。逝去を享けての「夏が終わった・・・」という書き込みも目にした。 が、寧ろ「ずーっと夏になった、夏が終わらなくなった」と捉えるべきだろう。そうでないとやってられない。 ----------------------------------------------------------------------------- 文章が中途半端で細切れで纏まりを欠いているのは承知している。 済みません、これが今は限界です。 --------------------------------------------------------------------------------------- 1993年、横浜駅東口地下街ポルタの街内放送スタジオ「スタジオポルタ」でDJをしていた僕に、・・・。 そういう個人的な関わりは一度本ブログで六年半前に書いていた。湘南ビーチFM "Starlight Cruisin'[Tue.]" ゲスト出演に際して。 → 番組ゲスト出演時 信じられない事に、それ以降、上記の友人(先輩)が間に入ってくれている縁で、個人的な親交も持てていた。その彼のバンドにドラマー/コーラスとして参加、そのバンド=ザ・フロント・ロウが村田さんの監修下で活動を行っているからだ。 これからももっと御会いしたかった。もっと御話ししたかった。もっと(熱狂的なファンの皆さんを押しのけてでも)ガンガン喋りに行けばよかった。 村田さんがその晩年(となって了った)を幸せに過ごせた、それを我々が少しでも後押し出来ていたと信じて。 感謝しかない。 人見 'Hit Me!' 欣幸, '16. (音楽紹介業)
by hit2japan
| 2016-02-23 09:29
| 訃報、悲報
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Comments(1)
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どんなに好きなアーチストが亡くなっても、残念だなって思うだけなのに、村田さんの訃報を約1年も経った今頃知って、とてつもなく悲しい思いです。つまらなかった青春時代に明るく素晴らしい音楽で心を温めて光を照らしてくれた人でした。10%くらいしかない自分の青春時代の楽しい思い出までもが奪われてしまった気分です。息子さんが音楽家なんですね。陰ながら応援したいと思います。
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